ADHD息子を見守れない夜|「母艦になる」と決めても、すぐには変われなかった

ADHD

ADHDのある息子に、あれこれ指示するのをやめよう。

息子の人生の操縦桿は、息子に返そう。

私は、息子を操縦するのではなく、戻ってこられる「母艦」でいよう。

そう決めたばかりだった。

けれど、決めたからといって、すぐに見守れる母親になれたわけではなかった。

息子が動かない姿を目の前にすると、私の中には、また不安と怒りが湧いてきた。


テスト期間だった。

それでも息子は、なかなか勉強を始めなかった。

YouTube。

ゲーム。

スケボー。

勉強以外のことには動けるのに、やらなければならないことには向かわない。

その姿を見ながら、私は何度も思った。

「本当にこれでいいの?」

「放っておいて大丈夫なの?」

「どうして逃げてばかりなの?」

頭の中では、息子を責める言葉がどんどん増えていった。

「やりなさい」と言わないようにしても、気持ちまで静かになったわけではない。

口を出さずにいるだけで、私はずっと息子の様子を気にしていた。


息子の操縦桿は、息子に返す。

そう決めた。

けれど、実際に手を離してみると、怖くなった。

このまま勉強をしなかったらどうなるのだろう。

提出物を出さなかったら。

成績が下がったら。

高校へ行けなかったら。

困るのは息子自身だと分かっていても、その先の失敗まで想像してしまう。

そして、何とかしなければいけないという気持ちになる。

見守っているつもりが、ただ放っているだけなのではないか。

親として、やるべきことをしていないのではないか。

その違いが、私には分からなかった。


私は、決めたことを進めたい。

やるべきことは先に終わらせたい。

予定を立てて、見通しを持って動きたい。

息子が動かない姿を見ていると、私の中のロジスティシャンの部分が、ずっと訴えてくる。

「このままでいいわけがない」

「今、動かなければ間に合わない」

「どうして分からないの?」

息子のためを思っているはずなのに、気づけば、自分の不安を消すために息子を動かそうとしていた。

それでも、息子は始めなかった。

私の不安は消えない。

怒りも、どんどん大きくなっていった。


その夜、私は限界だった。

体が震えた。

気づいたら、泣いていた。

怒りなのか。

悲しみなのか。

不安なのか。

自分でも、もう分からなかった。

ただ、耐えられなかった。

母艦になると決めたのに。

また息子を動かそうとしている。

また怒りを抑えられなくなっている。

私は何も変われていない。

そう思うと、余計に苦しくなった。


今振り返ると、私は「母艦になる」と決めたことで、すぐに穏やかに見守れるようになると思っていたのかもしれない。

でも、長い間続けてきた関わり方は、決意ひとつでは変わらなかった。

息子が動かなければ、不安になる。

先回りして、困らないようにしたくなる。

何度も声をかけ、それでも動かなければ怒ってしまう。

私の中には、その繰り返しが染みついていた。

操縦桿を返すというのは、何も言わずに放っておくことではない。

必要な支援を考えながらも、息子が選ぶ余地を残すこと。

そして、息子が動かない時間に、私自身が不安に耐えることでもあった。

それは、私が思っていたより、ずっと難しいことだった。


限界になって泣いた夜のあとも、すぐにうまくいくようになったわけではなかった。

何時間たっても、息子が勉強を始める様子はない。

その姿を見ているうちに、私はまた我慢できなくなった。

「どう考えてるの?」

「わかってるんだよね?」

直接的な指示は出さない。

そう決めた私が、苦し紛れに絞り出した言葉だった。

けれど、息子から返ってきたのは、強い反発だった。

「言わないって言ったじゃん!」

「もう約束破ってんじゃねーか!」

その言葉を聞いて、私はまた怒り口調になった。

こっちは、必死に耐えているのに。

心の中では、そんな気持ちもあった。

母艦になる。

航路は示す。

でも、操縦はしない。

そう決めたばかりなのに、全然簡単ではなかった。

またYouTubeを見る息子。

動かない息子。

騒ぎ続ける私のロジスティシャン脳。

そして、結局また言ってしまう。

いつもの負のループに戻りかけていた。


ダメだ。

また元に戻っている。

そう気づいた私は、苦し紛れに言った。

「わかった。もう言わない。助けが必要だったら声をかけてね」

そして、息子を見ないようにして別室へ移った。

そのあとも気になった。

本当にこのままでいいのか。

一度くらい、もう一度声をかけてもいいのではないか。

そんな考えが何度も浮かんだ。

それでも、その日はなんとか我慢した。

最初から穏やかに見守ることはできなかった。

約束も守れなかった。

また言ってしまった。

でも、途中で立ち止まることはできた。

別室へ移り、息子と距離を取ることもできた。

完璧にはできなくても、途中から軌道修正することはできる。

今思えば、それも小さな変化だったのだと思う。


母艦になると決めたのに、できなかった。

また怒った。

また泣いた。

また同じことを繰り返した。

けれど、一度できなかったからといって、決めたことがすべて無駄になったわけではない。

親も、急には変われない。

揺れながら、失敗しながら、少しずつ関わり方を変えていくしかないのだと思う。

正直に言うと、今も私は、いつでも落ち着いた母艦でいられるわけではない。

見守れない日もある。

口を出しすぎる日もある。

息子の将来が怖くなり、操縦桿を奪い返したくなる日もある。

それでも。

うまくできなかったことに気づいたら、もう一度戻ればいい。

今日も私は、母艦の席になんとか座っている。

揺れながら。

葛藤しながら。

失敗しながら。

私はまだ、母艦の練習中だ。

それでも、息子が戻ってこられる場所でいようとしている。


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