息子にあれこれ指示するのをやめよう。
息子の人生の操縦桿は、息子に返そう。
私は、息子が戻ってこられる「母艦」でいよう。
そう決めたばかりだった。
けれど、目の前で息子が勉強を始めない姿を見ると、また不安が膨らんでいった。
言わないと決めたのに、言いたくなる。
見守りたいのに、見ていることが苦しい。
その夜も、結局、口を出してしまった。
最初から穏やかに見守ることはできなかった。でも、途中で立ち止まり、息子と距離を取ることはできた。
これは、そんな一夜の記録だ。
何も言わずに待っていても、頭の中は静かではなかった
テスト期間だった。
それでも息子は、なかなか勉強を始めなかった。
YouTube。ゲーム。スケボー。
勉強以外のことには動けるのに、やらなければならないことには向かわない。
その姿を見ながら、私は何度も思った。
「本当にこれでいいの?」
「放っておいて大丈夫なの?」
「このままで間に合うの?」
「やりなさい」と言わないようにしても、気持ちまで静かになったわけではなかった。
時計を見る。
息子を見る。
また時計を見る。
口を出さずにいる間も、私はずっと息子の様子を気にしていた。
黙って待っているだけなのに、私の中では焦りが膨らみ続けていた。
息子のためと思いながら、自分も安心したかった
このまま勉強をしなかったら。
提出物を出さなかったら。
成績が下がったら。
進路の選択肢が狭くなったら。
目の前の勉強から、まだ起きていない将来のことまで考えてしまう。
すると、何とかしなければという気持ちになる。
私は、決めたことを順番に進めたい。
やるべきことは早めに終わらせ、見通しを持って動きたい。
だから、息子が動かない時間が苦しかった。
息子のためを思っている。
それは本当だった。
けれど、それだけではなかったのかもしれない。
息子が勉強を始めれば、私が安心できる。
提出物に取りかかれば、先の見通しが立つ。
私が声をかけて息子が動けば、自分の不安も少し落ち着く。
今振り返ると、息子を支えたい気持ちと、自分の不安を消したい気持ちが混ざっていたのだと思う。
「言わないって言ったじゃん!」
何時間たっても、息子が勉強を始める様子はなかった。
その姿を見ているうちに、私はまた我慢できなくなった。
「どう考えてるの?」
「分かってるんだよね?」
直接「勉強しなさい」とは言わなかった。
でも、息子を動かしたい気持ちは、言葉に出ていたと思う。
息子から返ってきたのは、強い反発だった。
「言わないって言ったじゃん!」
「もう約束破ってんじゃねーか!」
その言葉を聞いて、私もまた怒り口調になった。
こちらは必死に耐えているのに。
息子のことを考えているのに。
そんな気持ちが湧いてきた。
母艦になる。
航路は示す。
でも、操縦はしない。
そう決めたばかりなのに、全然簡単ではなかった。
言い方を変えても、私はまた息子を動かそうとしていた。
そして息子は、それに反発していた。
いつもの負のループに戻りかけていた。
変われない自分にも、失望していた
その夜、私は限界だった。
体が震えた。
気づいたら、泣いていた。
怒りなのか。
悲しみなのか。
不安なのか。
自分でも、もう分からなかった。
母艦になると決めたのに。
また息子を動かそうとしている。
また怒りを抑えられなくなっている。
私は何も変われていない。
そう思うと、余計に苦しくなった。
息子が勉強しないことだけではなかった。
変わろうと決めたのに変われない、自分自身にも失望していた。
決意したら、もう少し穏やかに見守れるようになると思っていたのかもしれない。
でも、長い間続けてきた関わり方は、一度決めただけでは変わらなかった。
「助けが必要だったら声をかけてね」と伝えて、別室へ移った
ダメだ。
また元に戻っている。
そう気づいた私は、息子に言った。
「分かった。もう言わない。助けが必要だったら声をかけてね」
そして、息子を見ないようにして、別室へ移った。
そのあとも気になった。
本当にこのままでいいのか。
もう一度だけ、声をかけた方がいいのではないか。
そんな考えが、何度も浮かんだ。
それでも、その日は何とか我慢した。
別室へ移ったからといって、不安が消えたわけではない。
息子が勉強を始めた、という解決の話でもない。
ただ、その場で息子を見続け、また言葉を重ねることからは離れられた。
息子を動かすことはできなくても、私自身がその場を離れることはできた。
完璧に見守れなくても、途中で立ち止まることはできた
最初から穏やかに見守ることはできなかった。
言わないという約束も守れなかった。
また口を出して、ぶつかってしまった。
でも、その夜は途中で立ち止まれた。
助けが必要なら声をかけてほしいと伝えた。
別室へ移った。
気になっても、もう一度声をかけに戻ることはこらえた。
それで、すべてがうまくいったわけではない。
けれど、口を出してしまったあとも、同じやり取りを続ける以外の行動は取れた。
「また言ってしまった」で終わらず、そこから距離を取り直すことはできる。
今思えば、それも小さな変化だったのだと思う。
今も、見守ることと支えることの間で迷っている
あれからも、見守ることは簡単ではない。
今は、学校の特別支援教室にも相談し、テスト前の学習計画を先生と立ててもらっている。
それでも、計画があればすぐに始められるわけではない。
動かない息子を見ると、私はまた口を出したくなる。
どこまで本人に任せるか。
どこを親が支えるか。
その境目は、今も迷う。
ただ、あの夜のことは覚えておきたい。
私は、いつでも穏やかに待てる母ではない。
不安になれば、息子の操縦桿に手を伸ばしてしまう。
それでも、気づいたところで立ち止まることはできる。
母艦になるというのは、一度の決意で完成するものではない。
揺れながら、自分の関わり方を見直していく。
私はまだ、その練習中だ。
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