ADHDのある中学2年生の息子。
この夏休み、息子だけで鳥取に住む祖父母の家へ行った。
行きは、いとこ家族と一緒。
帰りは祖母に空港まで送ってもらい、一人で飛行機に乗って羽田まで帰ってくることになった。
親と離れて数日間を過ごす。
少し心配もあったけれど、中学生になった息子にとって、いい経験になるに違いないと思って送り出した。
ところが滞在中、祖母から毎日のように送られてくるLINEを見て、私は何度も驚くことになった。
家では、ちょっとした指示にも反発する。
食事もなかなか食べない。
片づけや身支度も、何度も声をかけることがある。
それなのに、私がいない祖父母宅では、自分から動き、料理や家事を手伝い、祖父母の役にも立っていたというのだ。
家で私が見ている息子とは、違う。
そして最後には、一人で飛行機に乗って帰ってくることもできた。
「ずいぶん成長したのかもしれない」
そう思っていた。
ところが、羽田で再会した直後。
今度は、いつもの息子に振り回されることになった。
今回は、ADHDのある中学生の息子が親と離れて祖父母宅で過ごした夏休みと、そこで見えた「できること」と「まだ難しいこと」を記録しておこうと思う。
中学生の息子だけで祖父母宅へ行くことに
今回の鳥取行きは、最初から完全な一人旅だったわけではない。
行きは、大好きないとこ家族と一緒だった。
最初の数日間は、中学3年生の男子、中学1年生の女子のいとこと3人で過ごした。

出雲大社まで遠出をしたり、皆生温泉に一泊したり。
3人でUNOをしたり、工作をしたり。
特に大きなトラブルもなく、楽しく過ごしていると連絡があった。
そして、いとこ家族からは、
「息子が長男かと思うくらい、しっかりしている」
とまで言われた。
家での息子を知っている私は、
「本当に?」
と、正直耳を疑った。

親と離れて見えた、家とは違う息子の姿
親がいなくても、いとこたちと問題なく過ごせた
親がいないところで、いとこたちとうまく過ごせるのか。
行く前は、少し気になっていた。
でも、そんな心配は必要なかったようだ。
年上・年下のいとこと一緒に行動し、遠出や温泉旅行も楽しんでいた。

中学1年生の女子のいとことは、一緒に工作もしていたという。
予定や周りの行動を大きく乱すこともなく、強く自己主張して困らせることもなかったようだ。
むしろ、
家族と一緒にいるときより、気持ちが安定しているのではないだろうか。
そう思った。
普段、家での姿ばかりを見ていると、親はつい、
「大丈夫かな」
「ちゃんとできるかな」
と思ってしまう。
でも、親がいなければいないなりに、周りを見ながら過ごしていた。
家では感情を抑えられず、家族に強くぶつかることがある。
でも、家族以外の人といるときは、それなりに気を使い、周りを見ながら行動しているのだと思う。
学校の面談でも、授業にはきちんと参加できていると聞いている。
家で見ている姿だけが、息子のすべてではない。
これは、成長を感じた部分だった。
それと同時に、また一つ疑問も湧いてくる。
では、なぜ家ではこんなに違うのだろう。
いとこが帰ったあと、祖父母と3人に
いとこ家族が帰ったあとは、祖父母と息子の3人になった。
ここからは少し心配だった。
暇になって、一日中スマホを見て過ごすのではないか。
そんなことも考えていた。
ところが、祖母から毎晩のように届くLINEは、私の予想とはまったく違った。
「段ボールで椅子を作ってくれました」
「朝、仏様のお給仕をしてくれました」
「お布団と洗濯物を取り込んでくれました」
「じいじにスマホの使い方を教えてくれたよ」
そんな報告が次々と届いた。
祖父母が少し前に買い替えたスマホが、自宅のWi-Fiにつながっていないことにも息子が気づいたらしい。
家では、私が「やって」と言っても動かないことがあるのに。
鳥取では、頼まれたり、必要だと思ったりすると、普通に動いている。
一体、この違いは何なんだろう。
興味を持ったら、一人でダイソーへ
息子らしいエピソードもあった。
祖父母宅のトイレに、ストローで作った飾りがあった。
それを見た息子が、
「自分も作りたい」
と言い出したという。
そして、一人でダイソーまで材料を買いに行った。
作ったのは、一本のストローから作るエビ。
さらに、自分で改良を重ねていた。

段ボールが欲しいと言って祖父と蔵へ行き、段ボール椅子も作った。

祖父から将棋を教えてもらい、駒の動かし方も覚えた。

鳥取県立美術館やフィギュアミュージアムにも連れて行ってもらった。

自分の興味があることを見つけると、自分からどんどん動いていく。
家では「やるべきこと」をなかなか始められない息子とは、また違う姿だった。
家ではやらない料理の手伝いまでしていた
さらに驚いたのが、お手伝いだった。
祖母と一緒にポテトサラダを作り、きゅうりや玉ねぎを絞ったり、マヨネーズで味付けしたり。
粘りっこをすりおろすのも手伝ったという。
祖母からは、
「お料理好きみたい」
とLINEが届いた。
家では、料理を積極的に手伝う姿はほとんど見ない。
だから、これにも驚いた。
やらされているというより、本人も楽しんでいる様子だった。
考えてみれば、家では自分のやりたいこと以外は、何でも「やらされている」と感じているように見える。
同じ「手伝う」でも、自分からやるのと、親から言われてやるのとでは、息子の中ではまったく違うのかもしれない。
家では食べないのに、祖父母宅ではよく食べる
そして、私が一番不思議だったのが食事だった。
祖母から、
「トンカツ、美味しいってあっという間にペロリ」
「今日も完食」
と報告が届く。
小松菜そのものは苦手らしいが、祖母が作る小松菜スムージーは毎日飲んでいたという。
家では、こんなに食べない。
食事を出しても、なかなか食べない。
食べ方や姿勢が気になって、私が注意することもある。
そして注意すれば、反発する。
毎日のように繰り返しているやり取りだ。
だから「今日もよく食べました」と連絡が来るたび、うれしい反面、複雑な気持ちにもなった。
どうして鳥取では食べるんだろう。
もしかして、私のご飯がいけないの?
そんなことまで考えた。

家では指示ひとつで反発するのに、なぜ?
食事だけではない。
家では、一つやることを伝えただけで反発することがある。
宿題。
片づけ。
学校の準備。
提出物。
何度言っても動かず、結局私が声をかけ続けることも多い。
それなのに鳥取では、自分から洗濯物を取り込む。
料理を手伝う。
祖父母にスマホを教える。
必要なものがあれば、一人で買い物にも行く。
あまりにも家での姿と違った。
もちろん、祖父母宅での数日間と、毎日の家庭生活を同じようには考えられない。
それでも、これだけ違う姿を見せられると考えてしまう。
「私がいるとダメなのかな」
正直、そんな気持ちにもなった。
親がいないとできるのはなぜ?家との違いを考えた
どうしてこんなに違うのか。
今回の経験だけで、その理由は分からない。
祖父母宅という非日常だから頑張れたのかもしれない。
旅行中で楽しかったこともあると思う。
祖父母と親では、関係性も違う。
そしてもう一つ、今回の様子を聞いていて気になったのが、息子が動き出すきっかけだった。
「ストローのエビを作ってみたい」
「段ボールが欲しい」
「じいじにスマホを教えてあげる」
「料理を手伝ってみる」
鳥取では、本人の興味や「自分が役に立てること」から始まっていることが多かった。
一方、家ではどうしても、
「宿題は?」
「片づけて」
「早くして」
「ちゃんと食べて」
と、私から指示することが多くなる。
もちろん、好きな工作と宿題では条件が違う。
旅行先で数日過ごすことと、毎日の生活も同じではない。
家は息子にとって、気を抜いたり、甘えたりできる場所なのかもしれない。
だから、
「鳥取でできたんだから、家でもできるはず」
そう思いたくなるけれど、そうはいかないことも分かっている。
それでも、環境や関わり方が変わると、息子が自分から動ける場面がこんなにある。
それを知れたことは、私にとって一つの気づきだった。
私が見ている息子が、息子の全部ではなかった
これまで私は、息子の「できないこと」をどうやって支えるかを考えることが多かった。
計画を立てる。
やるべきことを始める。
片づける。
忘れ物や提出物を管理する。
家庭でも学校でも、いろいろな方法を試してきた。
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でも今回、親のいないところで過ごす息子を知って、一つ気づいた。
私が見ている息子が、息子の全部ではない。
家ではできないことが多くても、別の場所ではできることがある。
誰かに頼られれば、自分の得意なことで役に立つこともできる。
私が思っている以上に、自分で考えて動ける場面もある。
「できないことをどう補うか」だけではなく、
「どんなときならできるのか」
を見ることも大切なのかもしれない。
そして、もう一つ。
言っても動かないときは、さらに言うのではなく、一度引いてみる。
それができたらいいと思う。
でも、これがなかなか難しい。
宿題や提出物には期限がある。
朝なら、学校へ行く時間がある。
親としては、困ることが分かっているから、つい先に声をかけてしまう。
一度言って動かなければ、もう一度言う。
それでも動かなければ、さらに言う。
そして息子は、ますます反発する。
分かっていても、毎日の生活の中ではなかなか引けない。
今回、私がいない場所で息子が自分から動いている姿を知って、
「言うこと」だけではなく、「言わずに待つこと」も必要なのかもしれない。
そんなことを考えるようになった。
すぐにできる自信はない。
それでも、少しずつ意識してみたいと思う。
帰りは初めて一人で飛行機に
そして最終日。
祖母に空港まで送ってもらい、息子は一人で飛行機に乗って羽田へ帰ってくることになった。
行きはいとこ家族と一緒だったが、帰りは一人。
飛行機が好きな息子とはいえ、初めての経験だった。

祖母が鳥取空港まで送り、私は羽田空港で待つ。
無事に飛行機に乗ったと連絡をもらい、あとは羽田で迎えるだけ。
鳥取での数日間を思い返しながら、
「成長を感じられた、とてもいい経験になったな」
そんな気持ちで待っていた。
そして、一人で飛行機に乗って無事に羽田まで帰ってきた。
ここまでは、とても順調だった。

ところが。
再会した息子は、私が想像していた状態とはまったく違った。
予定外の出来事で、気持ちを切り替えられなかった
欲しかったVIVANTのお土産が売り切れていた
原因は、鳥取空港で買おうと思っていたお土産だった。
今、息子はドラマ「VIVANT」にハマっている。
鳥取砂丘のマグネットが売られていて、数日前にいとこが購入していた。
息子も、帰りに同じものを買うつもりでいた。
ところが、空港へ行くと売り切れ。

買うのを忘れたわけでもない。
誰かが買ってくれなかったわけでもない。
お店に行ったら、売り切れていた。
残念だけれど、仕方がない。
私からすると、それで終わる話だった。
でも、息子はそう簡単には切り替えられなかった。
「売り切れだから仕方ない」が受け入れられない
羽田で私と会った途端、お土産を買えなかった怒りを私にぶつけてきた。
帰りのバスでは、とうとう泣き出した。
「お土産を買ってない」
「日頃の行いが悪かったからなのか」
「ばあばに、また鳥取空港まで買いに行ってもらう」
そんなことまで言い出した。
「売り切れだったんだから仕方ないよ」
そう言っても、そのときの息子には入らない。
そこまで欲しがっても、買ったらすぐに飽きることだってあるのに。
私には、そう思えてしまう。
そして何よりつらかったのは、
売り切れは私のせいではないのに、どうして私に怒るの?
ということだった。
成長を感じたかったタイミングだったから、余計につらかった
正直、このときは私もかなり疲れた。
数日間、祖母からは、
「しっかりしているよ」
「今日も手伝ってくれたよ」
「ご飯も完食したよ」
そんな報告が届いていた。
最後には、一人で飛行機にも乗って帰ってきた。
家では見えなかった息子の成長を、たくさん知ることができた。
だから羽田では、
「一人で帰ってこられたね」
「楽しかったね」
そんなふうに迎えたかった。
なのに実際は、買えなかったお土産のことで泣き、私に怒りをぶつけ、無茶なことを言い続けている。
「ああ、やっぱりいつもの息子だ」
と思った。
せっかく成長を感じていたタイミングだっただけに、私自身もがっかりした。
説得するより、いったん別の楽しみに切り替えることにした
帰りのバスの中でも、息子はなかなか気持ちを切り替えられなかった。
「売り切れなんだから仕方ない」
正論を何度言っても、状況は変わらない。
そこで、バスを降りた駅で少し寄り道をすることにした。
今ハマっている「VIVANT」の本を買い、好きなガンダムのガチャガチャもやった。
お土産が買えなかったという出来事そのものを変えることはできない。
でも、そのことだけで頭がいっぱいになっている状態から、別の楽しみに意識を向けるきっかけにはなった。
少しずつ、気持ちは落ち着いていった。
結局、今回の旅は、
「一人で飛行機に乗れました。成長しました」
と、きれいには終わらなかった。
できることが増えても、難しいことは残っている
鳥取での息子を見ていると、確実にできることは増えている。
親がいなくても過ごせる。
いとこたちとうまくやれる。
一人で買い物に行ける。
祖父母を手伝える。
自分の得意なことで、人の役に立つこともできる。
そして、一人で飛行機にも乗れる。
一方で、
「楽しみにしていたものが買えなかった」
という予定外の出来事を受け入れて、気持ちを切り替えることはまだまだ難しかった。
できることが一つ増えたからといって、すべてが同じように成長するわけではない。
今回の出来事で、改めてそれを感じた。
まとめ|家とは違う姿も、羽田からの帰りに泣いた姿も、どちらも息子
今回の鳥取滞在で、家では見ることのできない息子の姿をたくさん知ることができた。
自分から動く。
人の役に立つ。
料理を手伝う。
よく食べる。
一人で買い物に行く。
そして、一人で飛行機に乗って帰ってくる。
家では指示一つで反発することもある息子が、親のいない場所では驚くほどしっかりしていた。
一方、羽田で私と会った途端、買えなかったお土産への怒りをぶつけ、泣いてしまった。
正直、
「私がいるとダメなのかな」
と思うことは今もある。
でも、鳥取で祖父母が見ていた息子も、羽田で私に怒りをぶつけていた息子も、どちらも同じ息子なのだと思う。
できるようになったこと。
まだ難しいこと。
親の前だから出てしまう姿。
親がいないからこそ発揮できる力。
いろいろな面が、同時にある。
今回の経験で、私が一番強く感じたのは、
私が家で見ている息子が、息子の全部ではなかったこと。
「できないことをどう支えるか」だけではなく、
「どんな環境ならできるのか」
にも目を向けてみたい。
そして、できるところは少しずつ任せながら、まだ難しいところには必要なサポートをする。
そうしていきたい。
今回、祖母から届いたLINEを読みながら、祖母の関わり方にも気づかされた。
息子が興味を持ったことを見守る。
できたことを喜ぶ。
頼れるところは頼る。
私も、そんな関わり方ができたらいいのだと思う。
毎日の生活では、つい「やってほしいこと」「できていないこと」に目が向いてしまう。
すぐには変えられないけれど、少しずつ。
中学生になった今、親の私も関わり方を変えていく時期なのかもしれない。
思い描いていたような、
「成長を感じて感動した夏休み」
と簡単には終わらなかった。
でも、それも含めて今の息子の成長なのだと思う。
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