小学二年生の面談で、担任の先生から特別支援教室を案内された。
それをきっかけに、私は息子の特性について本格的に調べ始めた。
検査も受けていない。
病院にもかかっていない。
それでも調べれば調べるほど、「息子はADHDなのかもしれない」という思いが強くなっていった。
▶︎ 幼少期に感じていた違和感|ADHD息子ヒストリー②|癇癪と過集中
小学二年生、学校生活は不安定だった
小学二年生の後半になっても、学校生活は不安定なままだった。
気に入らないことがあると、教室を飛び出してしまう。
気持ちが乗らなければ、授業になかなか参加できない。
学校生活で必要になる「書く」という作業も、全般的に苦手だった。
毎日のルーティンである連絡帳を書くことさえ、息子にとっては大きな負担だった。
こうした学校での様子を聞き、私たちは特別支援教室への入室を希望することにした。
ただし、入室するためには市の審査を受ける必要があり、利用できるのは早くても小学三年生の春からだった。
その審査に向けて、市の特別支援相談室へ行くことになった。
相談室へ持っていった「息子の特性メモ」
相談室へ行く前に、私は息子の特性をできるだけ詳しくまとめた。
当時書いたメモには、次のようなことが並んでいた。
息子の長所
- とても社交的で、人と関わることが好き
- 好奇心が強い
- 好きなことへの集中力と記憶力が高い
- 何事も楽しんで取り組むことが多い
不注意の面で気になっていたこと
- 忘れ物が多い
- 順序立てて行動したり、準備したりすることが苦手
- やるべきことに取りかかるまで時間がかかる
- 気が散りやすく、集中が続かない
- 筆箱やランドセルの整理ができない
- 必要なものをすぐになくす
- 毎日の日課を忘れる
多動や衝動性の面で気になっていたこと
- 授業中や食事中でも席を立つ
- 手や身近な物をいじり続ける
- 話し始めると止まらなくなる
感情面で気になっていたこと
- 注意されたり、思いどおりにならなかったりすると癇癪を起こす
- その場から逃げたり、教室を飛び出したりする
- すぐに泣く
- 失敗したときに、人のせいにしてしまう
苦手なこと
- 字を丁寧に書く
- 計画的に行動する
得意なこと
- 好きなものの絵を描く
- 興味のあることを記憶する
- 自由制作やブロックなどの工作
今読み返すと、「息子の問題点」を並べたメモのようにも見える。
けれど当時の私は、毎日の困りごとを正確に伝えたくて必死だった。
息子のことを分かってもらいたい。
必要な支援につなげたい。
その思いで、一つひとつ書き出していた。
特別支援教室と市の相談室につながった
相談室での面談後、学校と市の教育委員会による審査を経て、特別支援教室への入室が決まった。
その後は特別支援教室と並行して、市の相談室にも通うことになった。
相談室では、私の話を聞いてもらったり、息子の様子を見てもらったりした。
当時の私にとって、息子について安心して相談できる大切な場所だった。
一人で抱えていた不安を、初めて外へ出せるようになった気がした。
初めて受けたWISC検査
市の相談室で、息子はWISCという知能検査を受けることになった。
当時の私は、「WISC」という言葉を初めて聞いた。
息子の得意なことや苦手なこと、物事の理解や処理の仕方を客観的に知るための検査だと説明された。
息子は別の日に相談室へ行き、約一時間半の検査を受けた。
途中で水分補給をしながら、最後まで取り組めたそうだ。
ただ、課題の途中で自分の話を始めたり、説明を聞いている途中で道具を触ったりする場面もあったらしい。
その様子を聞いて、「なんだか息子らしいな」と思った。
そして後日、私は検査結果の説明を受けに行った。
WISC検査で分かった大きな凸凹
当時受けたWISC検査の結果は、次のようなものだった。
- 全検査IQ:83
- 言語理解:99
- 知覚推理:93
- ワーキングメモリ:73
- 処理速度:70
全検査IQは83だった。
ただ、詳しく見ると、すべての力が同じように低いわけではなかった。
言語理解と知覚推理は、平均の範囲に入っていた。
一方で、ワーキングメモリと処理速度は大きく低かった。
理解する力や考える力に比べ、聞いた情報を一時的に覚えておくことや、素早く正確に処理することが苦手。
息子の中には、大きな得意・不得意の差があることが分かった。
※WISCの数値だけでADHDかどうかが決まるわけではありません。ここでは、息子が当時受けた検査と説明について記録しています。
「やればできる」と思っていたけれど
検査結果の説明を聞きながら、私は息子の日常を思い浮かべていた。
連絡帳を書き終えられない。
準備の途中で、何をするのか分からなくなる。
いくつかのことを続けて言うと、最初の指示を忘れてしまう。
何度言っても、同じことができない。
それまでの私は、
「分かっているのだから、やればできるはず」
と思っていた。
しかし、理解できることと、覚えながら行動することは同じではなかった。
何度言ってもやらないのではなく、聞いたことを頭の中に置いたまま、順番に行動することが難しかったのかもしれない。
書こうとしないのではなく、見たものを素早く処理して、正確に書く作業そのものに大きな負担があったのかもしれない。
できないことには、息子なりの理由があった。
初めて、そう考えられるようになった。
納得したような、少しほっとしたような、それでも不安が残るような、複雑な気持ちだった。
児童精神科を探し、初めて投薬を始めた
WISC検査を受けたあと、一度きちんと病院で診てもらおうと決めた。
そこから、児童精神科を探し始めた。
けれど、受診できる病院はなかなか見つからなかった。
初診まで長く待つ病院もあり、予約料などの費用が必要なところもあった。
それでも、ようやく受診できる病院を見つけ、初診の予約を取った。
最初の病院では、息子の様子や学校で困っていることを話し、薬を試すことになった。
最初に服用したのは、ストラテラ5mgだった。
その後、10mg、25mgと調整しながら、約三か月服用した。
息子自身は、
「特に変わった感じはしない」
と言っていた。
けれど、薬を飲み忘れた日は学校での様子が明らかに違うと、担任の先生から言われた。
効いているのかもしれない。
ただ、生活が劇的に変わるほどではない。
当時は、そんな印象だった。
薬の調整を繰り返した
ストラテラの次にインチュニブを試したが、目立った変化は感じられなかった。
その後に試したのが、コンサータだった。
18mgから始め、一か月後に27mgへ増量した。
このとき初めて、息子自身が、
「全然違う」
と薬の効果を実感した。
落ち着く。
集中しやすくなる。
息子には、そんな感覚があったようだ。
一方で、食欲が落ちる副作用も見られた。
効果が感じられたからといって、すべてが解決するわけではない。
日々の様子や副作用を見ながら、主治医と相談して調整していくことになった。
※薬の効果や副作用には個人差があります。ここに書いているのは息子の体験であり、服薬については必ず医師へご相談ください。
転院を経て、現在の治療へ
最初の病院では、主治医との相性に違和感があった。
そんなとき、ママ友から児童精神科の先生を紹介してもらった。
病院までは、家から電車で約一時間。
通院には時間がかかったが、それでも転院することを決めた。
転院先でも薬の調整を続けた。
最終的には、
- コンサータ
- インチュニブ
- エビリファイ
を服用する形になり、小学六年生まで約二年間続いた。
その後、通院距離の問題もあり、現在は自宅から通いやすい病院へ再び転院している。
現在は、
- 朝:ビバンセ
- 夜:インチュニブ、エビリファイ
を服用している。
薬だけですべての困りごとがなくなるわけではない。
それでも、息子が日常生活を送りやすくするための支えの一つになっている。
検査は、息子への見方を変えるきっかけになった
特別支援教室。
市の相談室。
WISC検査。
児童精神科への通院と投薬。
こうして、息子の特性と向き合う生活が始まった。
WISC検査を受けたことで、息子の中にある得意と苦手の大きな差が見えるようになった。
それでも当時の私は、息子のことを十分に理解できていたわけではない。
特性が分かっても、
「どうしてできないの?」
と思ってしまうことがあった。
息子に合わない方法を、何度も頑張らせてしまった。
その一つが、習い事だった。
次の記事では、息子が経験してきた習い事と、うまくいかない理由が分からなかった当時のことを振り返ります。
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