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息子には、これまでさまざまな習い事をさせてきた。
公文。
サッカー。
スイミング。
英語。
タブレット学習。
「これならできるかもしれない」
「将来、息子の力になるかもしれない」
そう考えて始めても、うまくいかないことの方が多かった。
当時の私は、まだ息子の特性を十分に理解できていなかった。
だから、できない姿を見るたびに、
「どうしてやらないの?」
「もう少し頑張ればできるのに」
と思っていた。
WISC検査で得意と苦手の差が分かっても、それを日常の関わり方に結びつけるまでには時間がかかった。
▶︎ WISC検査で見えた息子の特性|ADHD息子ヒストリー③|特性が見えた日
公文|毎日コツコツ続けることが難しかった
小学校へ入る前から、息子は字を書くことがとても苦手だった。
入学前に、ひらがなだけでも書けるようになってほしい。
そう思い、公文を始めた。
しかし、公文の学習スタイルは息子には難しかった。
決められたプリントに取り組み、毎日少しずつ積み重ねていく。
教室でも集中が続かず、落ち着いてプリントに向かうことができなかった。
家庭で宿題をすることも、簡単ではなかった。
当時の私は、ADHDという言葉さえ知らなかった。
「やる気がないのかな」
「私に甘えているのかな」
そう考えていた。
今振り返ると、書くことが苦手で、興味のない課題へ取りかかることも難しい息子にとって、負担の大きい学習方法だったのだと思う。
公文は、半年ほどでやめた。
サッカー|気持ちの切り替えが難しかった
幼稚園では、サッカークラブにも入った。
夫がサッカー経験者だったこともあり、少し期待していた。
けれど、実際に始めてみると、団体競技ならではの難しさがあった。
自分にボールが回ってこないと泣く。
思いどおりにならないと怒る。
練習中に、まったく別のことへ気を取られてしまう。
周りの動きを見ながら、自分の役割を考える。
気持ちを切り替えながら、集団の中で動く。
息子にとっては、どれも簡単なことではなかった。
サッカーは、卒園とともにやめることになった。
当時は「向いていなかった」としか考えられなかった。
けれど今は、息子が困っていたことと、団体競技で求められることが合っていなかったのだと思う。
スイミング|自分のペースで続けられた
運動系の習い事で、長く続いたのはスイミングだった。
自宅から歩いて五分ほどの場所にスイミングスクールがあった。
通いやすい場所にあったことは、続けるうえで大きかったと思う。
息子は水が好きだった。
ただ、進級はとてもゆっくりだった。
周りの子が次々と上のクラスへ進むなか、息子は同じクラスに長くいることもあった。
それでも、本人は水の中で遊ぶように楽しそうに泳いでいた。
私は、
「進級できなくても、体力づくりになればいい」
と思うことにした。
すると、小学生になるころから少しずつ進級するようになった。
最終的には、四泳法を身につけることができた。
サッカーとは違い、泳ぐのは一人ずつ。
周りに合わせ続ける必要がなく、自分のペースで同じ動きを繰り返せる。
水が好きだったことに加え、そうした環境も息子に合っていたのかもしれない。
スイミングは、中学一年生まで続いた。
習い事がなかなか続かなかった息子にとって、大きな経験になったと思う。
英語|「書く」ことが増えてつまずいた
第一子だったこともあり、私は早期英語教育にも関心があった。
「英語ができれば、将来の選択肢が広がるかもしれない」
そう考え、年長のときに英語教室へ通い始めた。
幼稚園のころは、歌ったり遊んだりしながら楽しく参加していた。
その後、別の英語教室へ移り、小学三年生まで続けた。
通うこと自体には、それほど問題はなかった。
しかし、学年が上がり、宿題や英単語を書く課題が増えると、少しずつ様子が変わっていった。
書くことが苦手な息子にとって、英単語を繰り返し書いて覚えることは大きな負担だった。
宿題になかなか取りかかれない。
覚えられない。
英語の時間が、だんだんストレスになっていった。
結局、英語教室をやめることになった。
その後もオンライン英会話などを試した。
けれど、息子自身の興味が続かず、長くは続かなかった。
英語を学ぶこと自体が苦手だったのか。
それとも、「書いて覚える」「決められた時間に取り組む」という方法が合わなかったのか。
当時の私には、まだ分からなかった。
スマイルゼミとすらら|教材よりも「始めること」が難しかった
家庭学習では、タブレット教材も試した。
最初に始めたのは、小学一年生のときのスマイルゼミだった。
公文は続かなかったけれど、タブレットなら楽しく取り組めるかもしれない。
そう期待していた。
最初は物珍しさもあり、触ることができた。
しかし、ほかに楽しいことがあると、スマイルゼミを始めること自体が難しくなった。
取り組んでいない単元が、少しずつたまっていく。
やっていない画面を見るたびに、私のイライラも増えていった。
その後、発達に特性のある子どもにも取り組みやすいと聞き、すららも試した。
キャラクターが説明してくれる対話型の教材だった。
教材そのものには、さまざまな工夫があった。
それでも息子の場合は、タブレットを開き、学習を始めるところでつまずいた。
教材が合うかどうか以前に、「勉強を始めること」そのものが大きな壁だった。
親が声をかけなければ始められない。
声をかけると嫌がる。
私が横について始めても、続かない。
家庭学習の習慣は、なかなか定着しなかった。
息子には学習を始める習慣が定着しなかったが、すらら自体は、学年にとらわれず自分の理解度に合わせて進められる教材だ。
書くことへの負担が大きい子や、前の学年まで戻って学び直したい子には、取り組みやすい部分もあると思う。
ただし、どのような教材でも、子どもとの相性は実際に試してみなければ分からない。
発達障害のお子様の自宅学習をサポート【すらら】続かなかったのは、努力が足りなかったからではなかった
振り返ると、息子の習い事には、うまくいかなかった経験がたくさんある。
当時の私は、そのたびに息子のやる気や努力の問題だと考えていた。
せっかく始めたのだから、もう少し続けてほしい。
周りの子と同じように取り組んでほしい。
できるようになってほしい。
そんな思いが強かった。
けれど、息子に合わない環境や方法の中で、頑張らせようとしていたこともあったのだと思う。
一方で、スイミングは長く続いた。
息子が水を好きだったこと。
一人で取り組めたこと。
進級を急がず、自分のペースで続けられたこと。
家から近く、通う負担が少なかったこと。
続けられた理由を考えると、息子に合う環境の条件が少しずつ見えてくる。
本人が興味を持てること。
自分のペースで取り組めること。
結果を急がずに続けられること。
息子に必要だったのは、みんなと同じように頑張らせることではなく、力を出しやすい方法を一緒に探すことだったのかもしれない。
息子に合う場所を、家庭の外にも求めるようになった
特性が分かっても、家庭での困りごとがすぐになくなったわけではない。
勉強を始められない。
宿題ができない。
片付けられない。
気持ちが崩れると、親子で激しくぶつかる。
家庭だけで息子を支えようとするうちに、私自身も少しずつ疲れていった。
親がすべてを教え、管理し、できるようにさせることには限界がある。
そう感じるようになったころ、家庭や学校とは違う「外の支え」を探し始めた。
次の記事では、私が限界を感じ、放課後デイサービスの利用を始めたころについて振り返ります。
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