特別支援教室の案
特別支援教室の案内を受けたあと、
私は本格的に息子の特性について調べ始めた。
検査も受けていないし、
病院にもかかっていない段階だったが、
調べれば調べるほど
息子がADHDではないかという疑いが強くなっていた。
小2の後半。
学校生活は相変わらず不安定だった。
気に入らないことがあると
教室を飛び出してしまう。
学校生活での「書く」という作業も
全般的に苦手だった。
毎日のルーティンである
連絡帳を書くことさえ
かなり困難だった。
気持ちが乗らないと
授業にもなかなか参加できない。
そんな状況だった。
このような様子から
特別支援教室の入室を希望することに決めた。
ただし入室には
市の審査を受ける必要があり、
最短でも小3の春からになるという。
その審査のため、
市の特別支援相談室へ行くことになった。
相談室と特性メモ
相談室に行くにあたり、
私は息子の特性について
できるだけ詳しくまとめていった。
当時書いたメモは、
こんな内容だった。
長所
・とても社交的で人と関わることが好き
・好奇心が強い
・好きなものへの集中力と記憶力が高い(恐竜や生き物など)
・何事も楽しんで取り組むことが多い
気になっていたこと(不注意)
・忘れ物が多い
・順序立てて行動することや準備が苦手
・やるべきことに取りかかるまでに時間がかかる
・気が散りやすく集中が続かない
・整理整頓が苦手(筆箱やランドセル)
・必要なものをすぐ失くす
・日課を忘れる
多動
・授業中や食事中でも席を立つ
・手や物をいじってしまう
・しゃべりすぎる
感情コントロール
・注意されたり思い通りにならないと癇癪
・その場から逃げる、教室を飛び出す
・すぐ泣く
・人のせいにしてしまう
苦手なこと
・字を丁寧に書くこと
・計画的に行動すること
得意なこと
・好きなものの絵を描く
・好きなことを記憶する
・自由制作やブロックなどの工作
今読み返すと、
これは「息子の問題点」を並べたメモのようにも見える。
でも当時の私は、
毎日の困りごとを伝えたくて必死だった。
メモを書きながらも、
息子がADHDなのではないかという思いは
ほぼ確信に変わりつつあった。
相談室に行った後、
学校と市の教育委員会の判断で
無事に特別支援教室への入室が許可された。
その後も特別支援教室と並行して、
市の相談室にも通うことになった。
相談室では
保護者の相談に乗ってくれたり、
息子の様子を観察してくれていた。
当時の私にとっては、
唯一安心して相談できる場所で、
とても心強かった。
WISC検査
そんな相談室で、
息子は WISCという知能検査 を受けることになった。
当時の私は
WISCという言葉も初めて聞いた。
子どもの得意なことや苦手なことを
客観的に知るための検査だという。
息子は別日に相談室で
約1時間半の検査を受けた。
先生の話では、
途中で水分補給をしながら
最後まで取り組めていたそうだ。
ただ、課題の途中で
自分の話を始めてしまったり、
説明の途中で道具を触り始めてしまう場面も
あったらしい。
なんだか
息子らしいなと思った。
そして後日、
私は検査結果を聞きに行った。
検査結果
結果は、
少し意外で、でも
とても納得できるものだった。
息子の 全体IQは83。
平均より少し低い数字だった。
でも詳しく見ていくと
単純に能力が低いという話ではなかった。
言語理解は 99。
知覚推理は 93。
どちらも
平均の範囲だった。
つまり
理解する力や考える力はある。
でも、
ワーキングメモリは73。
処理速度は70。
ここだけ
大きく低かった。
理解する力はあるけれど、
聞いた情報を頭の中で覚えておいたり、
整理して処理することが苦手なタイプだという。
例えば
・口頭でいくつも指示を出される
・同時にいくつものことをする
・聞いたことを覚えて行動する
そういった場面では
うまくいかないことがあるかもしれない、
という説明だった。
また、作業スピードも
ゆっくりなタイプだという。
特に
・見て覚える
・書く
・正確に作業する
こういった作業は
時間がかかる傾向があるそうだ。
先生の説明を聞きながら、
私は思い当たることばかりだった。
連絡帳が書けないこと。
準備ができないこと。
何度言っても忘れてしまうこと。
ずっと私は
「やればできるはずなのに」
そう思っていた。
ADHDなんて知らなかった。
私が子どもの頃は、
発達障害という概念すら
ほとんど知られていなかった時代だった。
でも、
できない理由が
ちゃんとあったのかもしれない。
初めてそう理解した。
なんだか
ホッとしたような、
でも少し複雑な気持ちだった。
初めての投薬
一度、きちんと
病院で診てもらおう。
そう心が決まっていた。
そこから
児童精神科の病院を探した。
けれど
これがなかなか見つからない。
予約のハードルも高く、
予約料やよく分からない費用もかかった。
それでも
児童精神科の初診は
そういうものらしいと知り、
まずは初診の予約を取った。
初めて行ったその病院は、
正直、あまり印象が良くなかった。
後々転院することになるのだが、
この最初の病院で
息子は初めて投薬を始めることになる。
その病院では
明確な診断名をはっきり伝えられることはなかった。
書類を書き、
息子の様子について話をして、
「では、こういう薬を試してみましょうか」
そんな流れで
診断という明確なものがないまま
投薬がスタートした。
薬の調整
最初に試したのは
ストラテラ5mg だった。
ストラテラは
脳内のノルアドレナリンを増やし、
不注意や多動、衝動性を改善する
ADHDの治療薬の一つだと説明された。
その後、主治医から
「ADHDでしょうね」
と、やんわりした形で言われた。
ストラテラは
5mg → 10mg → 25mg と増やしながら
3か月ほど服用した。
ただ本人は
「特に変わった感じはしない」
と言っていて
自覚はあまりない様子だった。
しかし薬を飲み忘れた日は
明らかに様子が違うと
担任の先生から言われた。
効いているのかもしれない。
でも
劇的な変化があるわけでもない。
そんな感じだった。
その後
インチュニブ
(神経伝達を調節し、不注意・多動・衝動性を改善する薬)
を試したが、大きな変化はなかった。
次に試したのが
コンサータ
(脳のドパミンの働きを強めるタイプのADHD治療薬)だった。
18mgから始め、
1か月後に27mgへ増量。
ここで初めて
息子自身が
「全然違う!」
と
薬の効果を実感した。
落ち着くし、
集中できる。
そんな感覚が
あったようだった。
ただ一つ問題があった。
食欲不振 という副作用だった。
転院と現在の治療
最初の病院では
主治医との相性に
どうしても違和感があった。
そんなとき
ママ友から
「いい先生がいるよ」
と聞いた。
その先生は
日本橋で開業していた。
家から電車で1時間。
正直かなり遠かったが
それでも転院を決めた。
転院先でも薬の調整を続け、
最終的には
コンサータ18mg→27mg
+インチュニブ
+エビリファイ
という組み合わせに落ち着き、
小学校6年生まで約2年間続いた。
その後
通院距離の問題もあり、
現在は自宅近くの病院へ再び転院している。
今は
朝:ビバンセ
(コンサータと同じ系統だが作用時間が長い薬)
夜:インチュニブ+エビリファイ
という服薬で
落ち着いている。
こうして、
特別支援教室、通院、そして投薬。
息子のADHDという特性と
少しずつ向き合う生活が始まった。
当時の私は、
息子の特性をうまく理解できず、
たくさんの失敗をしてきた。
思うようにいかないことばかりだった。
その一つが、
習い事の挫折だった。
✎ この記事は「ADHD息子ヒストリー」シリーズです
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幼少期に感じていた違和感|ADHD息子ヒストリー②脳疲と過集中
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習い事の紆余曲折|ADHD息子ヒストリー④うまくいかない理由がわからなかった頃
▶ ヒストリー一覧
・① 恐竜博士だった息子|ADHD息子ヒストリー①興味ドリブンの幼少期
・② 幼少期に感じていた違和感|ADHD息子ヒストリー②癇癪と過集中
・③ WISC検査で見えた息子の特性|ADHD息子ヒストリー③特性が見えた日
・④ 習い事の紆余曲折|ADHD息子ヒストリー④うまくいかない理由がわからなかった頃
・⑤ 母の限界と放課後デイサービス|ADHD息子ヒストリー⑤はじめての外の支え
・⑥ 好きは力になる|ADHD息子ヒストリー⑥見えた「得意」を伸ばす


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