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息子がADHDだと分かったのは、小学生になってからだった。
けれど、今振り返ると、幼いころからいくつかのサインはあったように思う。
好きなことへの強い集中。
気持ちの切り替えの難しさ。
激しい癇癪。
忘れ物や片付けの苦手さ。
その一つひとつを、当時の私は「子どもならよくあること」だと思っていた。
好きなことには、周りが見えなくなるほど集中した
幼いころの息子は、好きなことに夢中になると、その世界へ入り込むように遊び続けた。
特に夢中になったのが恐竜だった。
図鑑を何度も読み、長いカタカナの名前や特徴、生きていた時代まで次々と覚えていった。
書字や読字には苦手さがあったが、恐竜の名前は自然に読めるようになった。
その集中力と知識の吸収の早さに、驚かされることも多かった。
▶︎ 恐竜博士だった息子|ADHD息子ヒストリー①|興味ドリブンの幼少期
恐竜だけではない。
トミカで遊ぶときも、一台の車をひたすら走らせていた。
特にお気に入りだったのは、トミカのヘリコプター。
プロペラを何度も回し、「ブルブル」と音を立てながら空を飛ばし続ける。
同じ遊びを、飽きることなく繰り返していた。
当時の私は、それを「集中力のある子」「好きなことに夢中になれる子」と捉えていた。
それが過集中と呼ばれるものなのかもしれないと考えるようになったのは、ずっとあとのことだった。
部屋はいつも足の踏み場がなかった
一方で、片付けはほとんどできなかった。
おもちゃ。
図鑑。
工作に使った紙や材料。
遊び終わったものが、部屋中に広がっている。
片付けるように声をかけても、なかなか始められない。
始めたと思っても、途中で別のおもちゃに気を取られ、また遊び始めてしまう。
結局、私が一緒に片付けたり、代わりに片付けたりしていた。
それでも幼稚園のころは、親が手伝えば大きな問題にはならなかった。
「小さい子どもなんて、こんなものだろう」
そう思っていた。
思いどおりにならないと、激しく泣いた
感情の面では、癇癪の激しさが気になっていた。
思いどおりにならないと、床にひっくり返って泣く。
欲しいものを買ってもらえなければ、泣き叫んで動かなくなる。
一度感情のスイッチが入ると、なかなか気持ちを切り替えられなかった。
落ち着くまで待とうとしても、泣き声を聞き続けるうちに、私も余裕をなくしてしまう。
なだめる。
言い聞かせる。
最後には、私まで怒ってしまう。
そんなことを繰り返していた。
大変だとは感じていたが、これも「まだ幼いから」「自我が強い子なのだろう」と考えていた。
幼稚園でも気になる姿はあった
幼稚園では、登園準備や持ち物の管理が苦手だった。
忘れ物をしたり、友達の体操着を間違えて持ち帰ったりすることもあった。
よく泣く子でもあった。
運動会で気持ちが乗らず、一人だけしゃがみ込んでしまう。
サッカーで自分にボールが回ってこないと、泣きながら友達に怒る。
自分の思いをうまく言葉にできず、壁に頭を打ちつけるような行動をしたこともあった。
ただ、幼稚園では周りの子どもたちもまだ幼かった。
息子だけが集団生活から大きく外れているようには見えず、先生から発達について指摘されたこともなかった。
私も、「個性の範囲なのだろう」と受け止めていた。
小学校に入り、「できないこと」が目立ち始めた
小学校へ入学すると、少しずつ状況が変わっていった。
宿題をする。
プリントを管理する。
必要なものを持ち帰る。
明日の準備をする。
自分の机やランドセルを整理する。
幼稚園までは親が補っていたことを、自分でするよう求められる場面が増えた。
ランドセルの中は、いつもぐちゃぐちゃだった。
大切なプリントが、折れた状態で底から出てくる。
学校の机の周りにも、物がよく落ちていた。
忘れ物も多かった。
一年生のころに担任の先生へ相談すると、
「一年生なんて、そんなものですよ」
と言われた。
先生にそう言われると、私も「まだ一年生なのだから」と思うしかなかった。
それでも、心のどこかには小さな疑問が残っていた。
小学二年生の面談で知った学校での姿
違和感がはっきりしたのは、小学二年生の一学期が終わるころだった。
担任の先生との面談で学校での様子を聞くと、問題は忘れ物や整理整頓だけではなかった。
授業中に気持ちが乗らず、床でうずくまってしまう。
うまくできなかったり、注意されたりすると、泣いて教室から飛び出してしまう。
活動に参加できなくなる。
授業中に立ち歩く。
一つひとつ声をかけなければ動けず、声をかけても取り組めないことがある。
家では見えていなかった息子の姿を、初めて詳しく知った。
周りの子どもたちが少しずつ学校生活に慣れていくなかで、息子の困りごとは目立つようになっていた。
そのとき私は、初めて思った。
これは、ただの性格ではないのかもしれない。
特別支援教室を案内された
その面談で、担任の先生から特別支援教室を案内された。
発達に特性のある子どもが、学校生活で困っていることに応じた支援を受けるための教室だった。
「息子には、こういう支援が必要なのかもしれない」
そう思う一方で、すぐに気持ちを整理できたわけではない。
なぜ、みんなと同じようにできないのだろう。
私の育て方が悪かったのだろうか。
もっと厳しく教えるべきだったのだろうか。
いろいろな思いが頭の中を巡った。
それでも、息子が学校で困っていることは確かだった。
まずは、何が起きているのかを知りたいと思った。
ADHDについて調べ始めた
そこから、発達障害やADHDについて調べ始めた。
インターネットで検索し、図書館でもたくさんの本を借りた。
本を読み進めるうちに、これまで別々のことだと思っていた息子の行動が、少しずつつながっていった。
好きなことへの強い集中。
興味のないことへ取りかかる難しさ。
片付けや持ち物管理の苦手さ。
感情の切り替えにくさ。
衝動的に教室を飛び出してしまうこと。
もちろん、本に書かれていることがすべて息子に当てはまるわけではない。
それでも、読みながら何度も「息子と似ている」と感じた。
そして、心の中に一つの可能性が浮かんだ。
もしかすると、息子はADHDなのかもしれない。
それまで感じていた違和感に、初めて名前がつくかもしれない。
少しほっとする気持ちと、これからどうなるのだろうという不安。
両方の感情が入り混じり、胸の奥が静かにざわついた。
息子を知るための一歩が始まった
今振り返れば、幼いころからいくつものサインはあった。
けれど、その一つだけを見れば、どれも子どもによくある姿に見える。
片付けが苦手な子。
癇癪の激しい子。
好きなことに夢中になる子。
少し忘れ物が多い子。
幼稚園では親や先生が手を貸すことで、それほど大きな問題にはならなかった。
小学校に入り、自分で管理することや、集団の中で同じように動くことを求められるようになって、初めて息子の困りごとが表に出てきたのだと思う。
当時の私は、息子を理解したいという思いと、「普通にできるようになってほしい」という思いの間で揺れていた。
それでも、この面談をきっかけに、私たちは支援へつながるための一歩を踏み出した。
次の記事では、WISC検査を受けて見えてきた息子の特性について振り返ります。
参考にした本
ADHDについて調べ始めたころ、特に参考になった一冊です。
▶︎ 『ADHD 注意欠如・多動症の本(育ちあう子育ての本)』
ADHD息子ヒストリー
✎ この記事は「ADHD息子ヒストリー」シリーズです。
▶︎ 前の記事
恐竜博士だった息子|ADHD息子ヒストリー①|興味ドリブンの幼少期
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