勉強しないADHD息子と向き合うために|「母艦になる」と決めても、揺れる毎日

ADHD

テスト前なのに、息子はゲームやYouTube、Primeビデオに夢中だった。

勉強は、ほとんどしていない。

散らかった制服。床に広がるおもちゃ。手をつけていない提出物。

一つひとつは、いつもの光景だった。
でも、テストが近づくにつれて、私の中では不安と苛立ちが積み重なっていった。

そして、テスト前日に怒ってしまった。

息子の特性を理解したいと思っている。
それなのに、目の前で勉強しない姿を見ると、「ちゃんとさせなければ」という気持ちが先に出てしまう。

これは、そんな私が「母艦になる」と決めたときのことと、その後も続いている試行錯誤の記録だ。


テスト前夜、怒ってしまった

スマホを見ている。
YouTubeを見ている。
勉強に取りかからないまま、今度はゲームを始める。

「今やらないでどうするの?」
「間に合わないよ」
「いつまでスマホを見ているの?」

言葉が止まらなくなる。

息子には、取りかかることや、好きなことから切り替えることに難しさがある。
頭では理解しようとしている。

それでも私は、きちんと、普通に、当たり前にできることを求めてしまう。

できていない姿を見ると、私の育て方が間違っているような気がした。
私がもっと何かをしなければ、と思っていた。

でも、強く言えば勉強が進むわけではなかった。

息子は固まる。耳を塞ぐ。言い返す。

親子でぶつかり、ただ疲れが残る。

私は、この子を壊したいわけじゃない。

この子が「自分は自分でいい」と思える未来を守りたい。

本心は、そこにあるはずだった。
それなのに、私の言葉は、その未来から息子を遠ざけているのではないか。そう感じるようになった。

完璧な母にはなれない。
怒らない母にも、すぐにはなれない。

それでも、壊さない母ではいたいのに。


戦闘機が好きな息子に、「私は母艦になる」と話した

私はずっと、息子の横で、今やるべきことを指示していた。

いつ勉強するか。何を終わらせるか。何を持っていくか。

自分では、必要なことを伝えているつもりだった。

息子は、やるべきことを先延ばしにしやすい。見通しを立てて取り組むことも難しい。

だから、私が声をかけて支えているつもりだった。

でも、私がすべてを動かそうとするほど、息子は反発する。

声をかけなければ進まない。
声をかければ、ぶつかる。

私には、その加減がわからなかった。

ただ、このままでは、息子が自分で考える余地まで狭めてしまうのではないか。
そんな怖さを感じるようになった。

戦闘機が好きな息子に、伝わる言い方はないだろうか。

そこで思いついたのが、「私は母艦になる」という言葉だった。

航路は示す。枠は置く。
でも、操縦はしない。

人生のハンドルは、本人に返す。

「自分でパイロットになって、操縦して」

そんな話をした。息子は、一応、理解したようだった。

失敗するかもしれない。遠回りもすると思う。

それでも、私がハンドルを握り続ける関わり方を変えたいと思った。


決めたあとも、提出物は置きっぱなしだった

話をしたからといって、翌日から何かが整ったわけではない。

提出物は置きっぱなし。プリントは山になっている。理科の教科書も持ち帰っていなかった。

「知らない」

そう言われると、また胸がざわついた。

言いたい。確認したい。今すぐ動かしたい。

それでも、怒鳴らないようにこらえた。

不安がなくなったわけではない。
穏やかに見守れるようになったわけでもない。

あの日は、親子でこれ以上ぶつからないようにすることで精いっぱいだった。

今日は、それだけでいいかな。

「私は操縦をやめる。母艦になる」

息子への言葉であると同時に、私自身への宣言だった。


「一日15分」の約束でも、口を出してしまう

テスト期間が終わってからも、難しさは続いた。

以前、勉強のハードルを下げて、「一日最低15分は勉強する」というルールを決めていた。

そのくらいなら、と思っていた。

でも、息子が自分から始めることは、ほとんどなかった。

YouTube。マリオカート。ミニ四駆。レゴ。

好きなことには向かうのに、勉強にはなかなか向かわない。

そして結局、言ってしまう。

「やることをやってからにしなさい」

片づけも同じだった。

机も、床も、ベッドも、気がつくと物でいっぱいになっている。

「これ、片づけて」

その一言で、空気が変わる。

無視されるか、強く言い返されるか。
口論になって、お互いに疲れることもある。

しぶしぶ従ったとしても、「やらされている」という感じが残る。

母艦になると決めても、見ていると口を出したくなる。

勉強だけでなく、日常の小さな場面でも、操縦を任せることは難しかった。


今は、本人・親・学校で支える範囲を考えている

あれから、学校や医師、放課後等デイサービスの先生にも相談しながら、息子との向き合い方を考えてきた。

息子が劇的に変わったわけではない。

提出物に取り組むのは今も大変だし、テスト前でも好きなことを優先する日がある。
私も、口を出さずに見守れる日ばかりではない。

それでも、すべてを私一人で抱えようとする関わり方は、少しずつ変わってきた。

最近は、テスト前の学習計画を特別支援教室の先生と立ててもらっている。
私は、進み具合を細かく管理することから距離を置いている。

計画を立てれば、すぐに勉強を始められるわけでもない。
その難しさは、また別にある。

だからこそ、本人に任せること、親が支えること、学校に相談することを考える必要があるのだと思う。

私にとって「母艦になる」とは、何もせずに見ていることではない。

息子が自分で進めるように、どこを支えるかを考えること。

今は、そう受け止めている。

まだ、口を出してしまう日もある。
任せることと支えることの間で、迷う日もある。

それでも、私一人で操縦しようとしていた頃とは、少しずつ関わり方が変わってきた。

「私は操縦しない。母艦になる」

うまくできない日も、この言葉に立ち返りながら、息子との距離を探していきたい。

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